普段着文庫上里北 普段着文庫上里北 神は細部にやどりたまう 久野収

久野収、彼の書籍でも特に評価の高いものである、って私は思っています。 今回取り上げたのは、ロシアのウクライナ侵略行為に対して、多くの国が、もちろん、私が住むこの国も、制裁と称して、ロシアとの繋がりを切ろうとしていることへの疑問です。

なぜ、膝を突き合わせて粘り強く対話をしょうとしないのか。

久野収はこの「神は細部に宿りたまう」対話のすすめ P94 にて、対話には「それであなたはどう考えますか」という問いかけが必要であるとしています。

落語、浪曲、漫才、ついでに政治家の言葉も語り手と聞き手がきっちりと別れた一方通行である。片方が熱弁し、それに賛成せよという形式です。

対話とは、お互いの問いかけの応酬によって成り立ちます。 相互理解は、この問いかけによって初めて生まれると私も考えるのです。

では、この国で、それがどうもうまく機能しない、なぜか。

これがタテ社会の大きな弊害です。皆が、立場、年齢、性別、関係なくあるならば、対話が機能する下地はできる、でも、タテ社会ではそれが難しい。上が愚かなことを言い出したなぁと思っても反論できない、そして、上の言葉を繰り返しているうちに、なんとなく、そうなのかなぁと誤解していくのです。

この国もそうですが、ロシアも随分とそういうタテ社会の国に見えます。

加えて、諸本主義はタテ社会のほうが機能しやすいのです。 多くの国が資本主義になることで、タテ社会が充満してしまった。

私はそう考えています。(もっとも、では共産主義が良いかと言うと、私達人間にはこの主義をこなすのは無理だと思っています。一部、取り入れることはできてもですが)

タテ社会が世界中に充満してしまった結果が、嫌な奴とは付き合わないという姿勢ではないかと考えます。

これはとても危険な兆候だと私は考えます。