芸のためならぁ、女房も泣かすぅ、と歌にうっかりする
ここしばらく、熱心に都はるみをyoututbeで聴いています。
彼女の声とコブシ、歳をとるほどに、酔い気分で聴いています。
ただ、文章にすると、ちょっと、これはというのはありますね。例えば「浪花恋しぐれ」
芸のためなら、女房も泣かす。それがどうした、文句があるか
と歌っております。
考えてみれば、無茶なことを言ってます。つまり女房は亭主の付随物なのだから、当然、自身が亭主の犠牲になることを同意すべきだ。そして、その犠牲の中に献身という「美」を見出そうではないかという提案を亭主がしているわけです。で、女房は恋とか愛という幻想に思考を停止せられ同意をしている。
テキストにすると、そういうことであり、これを都はるみの歌声と伴奏との雰囲気で、わぁ、辛いなぁ、哀しいと、聴く側も感化してしまうわけです。
梨木果歩の「本当のリーダーの見つきかた」などを読むと、感情や思い込みに翻弄される自分を冷静に観るもうひとりの自分を育てるべき(おおよそそんな意味あいで)と書いておりますが、しっかり育てておきませんと、自身の人生が他者への犠牲で終ってしまうことを、真剣に危惧すべきではあります。