京都新聞 「おとなしい子ども 現論」を読んで思いますこと
子どもは分別なく、おとなしくなく、我がままであるほうがいい、と書くと叱られるでしょうね。
さて、京都新聞 現論 「おとなしい子ども」 記事を読んでこれは大問題だなと思いました。
保育園から大学に至るまで、総じて子どもがおとなしい。決して、おとなしいということは良いことではありません。問題意識が欠けてしまったからです。
社会にはいろんな問題が山積みになっています。その問題に気づき、解決していくのは、私達、一人ひとりでしかないわけです。例えば、子どもたちが成長していく上で、避けられない問題に教育があります。
私は大学までの教育を無償化すべきという考え方ですが、そのためには、直接的に被害を受ける子どもたちがどうにかしてくれと立ち上がり、私達多くの大人を突き上げていかねばなりません。おとなしい子どもでいてはならないのです。
それがなければ、他国では無料で大学に行けるのだなぁと横目で見ながら、進学を諦めたり、たくさんの借金(奨学金)をしなければなりません。20代、30代で、数百万円の借金があるというのはとても異常なことです。
多分、このことは、当事者である子どもも気づいているのではないか、でも、どうすればいいかわからず、また、どうすればという発想もなく諦めてしまうのではないか。
私はアドラー心理学に興味があり、ある課題を解決しなければならないのは当事者であるとアドラーは教えます。つまり、教育問題については子どもが解決しなければなりません。その子どもがおとなしくなって解決しようとしない。
いや、これは正直ではないですね。大人が子どもをおとなしくしてしまって解決することを妨げている、私はこう捉えています。
解決しようとしないのは子供の課題、妨げようとするのは大人の課題とでもいいましょうか。
現在、貧困化が叫ばれていますけれど、それも、根本には、大人が「子どもをおとなしく」してしまったことにあると考えます。覇気のない子どもや若者が多勢を占める社会に未来はあるというのでしょうか。
16才の少女が訴える 温暖化非常事態 https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4333/index.html
グレタトゥーンベリ、彼女が環境問題を考え、一人でストを始めた。それが今、大きな勢力になっている。おとなしい、問題意識も無いでは、こんなに大きな流れはできなかった。
私は「一人が世界を変えることができる」ということを諦めてはならない。そう考えます。
学校の無償化を言うと、予算がどうのという言葉が脊髄反射のように返ってきます。それに臆してはならない。他に予算を使っているだけなのですがら、教育に予算を振る分けろと叫べばいいのです。
決して、諦めてはなりません。