朗読用小説「夕さん」 20151112版

「夕さん」を推敲いたしました。文字数で言いますと、5298文字から4310文字に減らしました。400字詰め原稿用紙2枚ちょっとです、
少し、読みやすくなったかと思います。
「夕さん」

夕さん 作 物部俊之

駅前で花を一輪いただいた。輝く夕暮れの空、小さな女の子がこれあげると花を一輪、私に差し出したのだ。
これでも、二人暮らし、会社に勤めて一年、ちょっとばて気味の社会人だ。
子供から何かいただくというのは、大人として、少しは遠慮するべきなんだけれど。
夕暮れに染まったその女の子が、なんだかいとおしく、つい、手を伸ばし、花を一輪受け取ってしまったのだ。
ありがとう、女の子は笑みを浮かべると、人込みへと消えて行った。
人込み、そして、私は初めて気が付いたのだ、賑やかな雑踏に辺りを見回す、店から流れるはやりの歌、私は夕飯の買い物で賑わうたくさんの人達の中にいたのだ。

「夕子も物好きというかなぁ」
二人暮らしのアパートに戻ると、半透明の夕さんが、溜息ついて、一輪の花を眺めた。半透明の夕さん、十代後半くらいの綺麗な女の子だ。半透明の夕さんはその名の通り、向こうが透けて見える、手を伸ばせば、手が擦り抜けてしまうのだ。幽霊みたいなものかもしれないけれど、本人にはそういう自覚はないらしい。私は私だ、が、夕さんの自分自身に対するしっかりとした評価だ。
うちの親が言うには、私が生まれる時、母さんの横でしっかりしっかりと叫んでいたのが、初めて夕さんを見た時で、暢気な親だ、鍵を掛け忘れたときなんか、ちゃんと、夕さん、教えてくれるのよ、助かるわぁ、なんてほざいているのだ。
私が子供の頃は、夕さんはお姉さんで、いまは、なんだか生意気な妹で、それは夕さんがずっとかわらないのに、私が大人になっていったからだ、多分、夕さんの中では、まだ、私は妹で、子供なのだろう。父さんと喧嘩して家を出た時も、私について来てくれたのは、頼りない私が心配だったからだと思う。

「それ、なんて花だろう、百合かな」
「百合とは花の形は似ているけれど、葉の形が違う、この花、夕菅って云うんだ。夜に咲く月の色した花。朝にはしぼんでしまう」
夕さん、立ち上がって、窓から外を眺めた。
「見てごらん。上弦の月の色」
夕さんは実体がないので、体を突き出せば、上半身がカーテンも窓も擦り抜けてしまうけど、私はそうはいかない。カーテンを開け、外を眺める。
中空には檸檬の色をした月が浮かんでいた。闇の中、冴え冴えと輝いている。
「さて、月の角っこに、綱掛けて、何か引き上げようようというなら、これも縁というもの、少しばかり手伝ってやるさ」
夕さんがにっと笑みを浮かべた。
「どういうこと。夕さん」
「夕子。しっかり晩御飯を食え。食ったら、出掛けよう」

「足が痛いよぉ、帰りたいよぉ」
私の泣き言に、きりきり歩けと夕さんが楽しそうに笑う。全くの闇の中、あの夕菅の花が仄かに月の色を足元に照らしていた。肌が微かに湿気を感じている、雨上がりなのだろうか。見上げても、真っ黒な闇。
「夕さん、一緒に居てよ、何処にも行っちゃやだよ」
「大丈夫。隣りずっと歩いてやるよ」
「ありがとう、夕さん」
「どういたしまして」
にかっと、夕さん、自信に満ちた笑顔を浮かべた。
私達は夕菅に導かれるまま歩いているのだ。夕菅を持つ私の右手が磁石に吸い寄せられるように、歩く方角を決めて行く、私と夕さんはその後を付いて歩く。足のだるさを思えば、もう何時間も歩いているに違いない。
「ねえ、夕さん。いつか聞こうと思っていたこと、いま聞いて良いかな、多分、今じゃないと聞けないと思う」
「いいよ。歩いているだけじゃ退屈だ」
「あのね。夕さんは齢もとらないし、透けているし、手を伸ばせば擦り抜けてしまう。それでいて、商店街のおばちゃん達とカラオケで歌っていたり、近くの高校生に告白されて、ガキに興味はねぇって断ったりもしていた。夕さんは何なの」
「確かにそれはご飯食いながらの質問じゃないな」
夕さん、怒らずに真面目な顔をして答えてくれた。
「夕子を産もうとしている母さんの隣りにいた、酷い難産だった。実は私にはそれ以前の記憶がないんだ。だから、夕子の問いに答えるのは難しい。ただね」
夕さんが私に向かって恥ずかしそうに笑った。
「私はちっちゃな女の子のお姉さんになろうと思ったんだ。夕子のお姉さんにさ」
「私のお姉さん」
夕さんが笑って頷いた。
「だから、夕子は大人になってしまったけど、私にとっては今も妹だ。夕子がおばあちゃんになっても、この夕さんの妹だ」
夕さん、ふいっと笑顔を消して、視線を前に向けた。夕さんは意外と、照れ屋なのだ。
「お姉ちゃん、ありがとう」
思い切って言ってみた。夕さん、聞こえない振りをしているけれど、ほんの少し笑った。
そうだ、いつからだったろう、夕さんって呼び始めたのは。夕さんの少し寂しそうな笑顔を思い出した。

「夕子。見えるか」
夕さんが囁いた。
月だ、空の高みに、上弦の月が浮かんでいた。月明かりを頼りに辺りを見渡してみる。
月のかけら、夕菅の指し示す方向に光が灯っていた。

駆け寄ると、あの女の子が夕菅の花を片手に俯いていた。女の子は信じられないようにぼぉっと私の顔を見つめた。
「来たよ。さっきは花をありがとう」
急に女の子がごめんなさいと呟いた。
「ま、そうとしか言いようがないもんな」
夕さんが女の子の横にしゃがんで、地面を睨んでいた。
「随分、深いし、冷たそうだ。夕子、来てみろ」
直径一メートルくらいの穴だ、暗くて深い穴が地面に穿たれていた。
「目を凝らしてじっと見てみろ」
夕さんが穴の真ん中を睨みつけたまま、呟いた。
腕だ、子供の細い腕が、一本、手を伸ばせば届くところに、生えていた。
手が花のようにだらりと力無く、まるで風があるかのようにゆらゆら揺れている。
夕さん、ぎろっと女の子を睨みつけた、女の子が夕さんの視線を恐れるように俯く。
私、ゆらゆら揺れるその手を両手でしっかり握った。なんて冷たいんだ、氷、いや、そうじゃない、もっと深い、心に滲み込んでくる冷たさだ。
「ええっ、夕子、なんで掴むんだよ」
振り返った夕さんが驚いて声をあげた。
「え、あの。引っ張りあげたほうがいいかなぁって、えっと、うん」
「その穴に落ちてしまったら、闇の中、無限に生きることになるぞ」
「その穴に子供が落ちているのなら、引き上げなきゃ」
私、おもいっきり手に力を入れる、子供の手、引っ張りあげてやる、重い、なんて重いんだ、動かない。
「夕子、子供の顔を思い浮かべろ。笑顔を思い浮かべるんだ」
夕さんの言うように、幸せそうに笑顔を浮かべる子供の顔を思い浮かべた。あぁ、これ、私だ、私が子供の頃の顔だ、夕さんと一緒に公園で遊んだときの笑顔だ。
ふっと腕が軽くなった、小学生くらいの少年がふわっと空中に浮かんだ。手を離すとゆっくりと月の引力に導かれ、浮かび上がっていく。
「夕子、しっかり。まだ、次がいるぞ」
夕さんの声に穴を見ると、多分、あれは女の子の手だ、ゆらゆら、揺れていた。ぎゅっと握りしめる、なんて冷たい手だ。
おもいっきり、引っ張りあげた。小さな女の子だ。次々と、もう、わけがわからないくらい、たくさんの子供達を引っ張りあげる、小さな赤ん坊まで引っぱり上げる、皆、とても冷たい手だ、私の手も冷たくかじかんでいく、でも、こうやって手を差し出すなら、なんとか、この闇から子供達を引き出してやりたい、母性だかなんだか、知らないけど、子供達が辛い思いをするのは嫌だ。
「夕子、この子が最後だ」
夕さんの声に息を飲んだ。手の形すらしていない、生まれる前の手だ、両手を闇に差し込む。手が痛い、手がちぎれてしまいそうだ。掬い上げて、月へ掲げた、手を離す、ふわり、赤ん坊が浮かんだ。
「もう、限界だ」
背中から万歳の形で倒れてしまった。見上げると、いくつもの子供達が上限の月に向かって昇っていく。
「お疲れさま」
夕さんが少し笑った。
「夕さん。あの子達、どうなるんだろう」
「わからない。でも、闇の中、膝を抱えて震えているよりはずっとましだろう」
夕さん、ほっと息を漏らすと、私の横に座った。
「ね、あの子達っていったい何だったんだろう」
「親からの虐待で殺された子供達だ、この穴はそんな子供達を飲み込んでいたんだろう、こんな穴は何処にでもあるのさ」

体を起こすと、穴は消えていた。女の子が正座して俯いている。足引きずりながら、女の子の前へ這う。
ごめんなさい、俯いたまま、女の子が呟いた。
「謝ることはないよ。お姉ちゃん、ちょっと頑張っただけさ」
手が、と女の子が言いよどんだ。
どうしてだろう、私、女の子の手を取って、私の頬にくっつける。
「ほら、手は冷たくなったけど、ほっぺたは暖かいぞ」
女の子が泣き出しそうな、でも、しっかり笑顔を浮かべてくれた、そして、かき消すようにその姿が消える。
「え、あ、ど、何処に行ったの」
「下、見てみろ」
夕さんが指さす先、小さな女の子の人形が転がっていた。
「服装や髪型、同じだろう」
私、人形を拾い上げて、どうしてだろう、しっかり抱きしめた。
なんでだ、泣きそうになる。
「少し明るくなってきたな」
辺りが見える、夕菅の花はしぼんで、朝日が昇る前の、朝まだき、うっすらと青色に辺りが染まる時間だ。
「ここって」
「近所の河原だ。歩いて十五分ってとこだな」
「ね、夕さん、この子、連れて帰っていいかなぁ」
「そのままにすれば、ゴミ扱いだ。いいんじゃないかな、連れて帰って」
夕さん、そっと笑みを浮かべてくれた。
ゆっくりと立ち上がる、川風が上流からゆっくりと流れてくる。
「夕子。同じようにさ、また、子供の手を引き上げなければならなくなったらどうする」
夕さんの言葉に、自分の両手を見つめた。少し、両手に暖かさが戻ってきたように思う。なんだったんだろう。心に直接襲ってくるあの冷たさ。あれは、あの子達の絶望や恨みや怒り。ううん、そうじゃない。あれは、願いだ。生きていたい、笑顔を浮かべたい、そんな強い願いがぶつかってきたんだと思う。
「あの子、喜んでたな」
「うん」
夕さんの言葉にじっと腕の中の人形を見つめた。薄汚れてしまっているけれど、とても可愛い人形だ。この子も辛い思いをしたのかな、こんな小さな人形なのに。
「泣いているのか」
「ううん、泣いていないし、泣かない」
ぎゅっと歯を食いしばった。
「こういうとき、絶対に泣いたらだめなんだ。涙と一緒に思いが流れて行ってしまうから」
夕さんも立ち上がると、にかっと子供のように笑った。
「夕子、しっかりしたな」
「うん」
どうしてだろう、素直に頷いた。
私は、次も手を掴むだろう。知らぬ振りをせずに。
ふと、気がついた。夕さんは私を引き上げてくれたのかもしれない。
「お姉ちゃん」
「いいよ、夕さんで。なんか照れる」
「ううん。ありがとう、お姉ちゃん」
夕さん、照れ笑いを浮かべて、顔をそむけた。
「どういたしまして」

終わり

 

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