夕さん2話 途中

もうすぐ、書き終えると思います、書き終えたら、多分、3分の2 くらいの長さに詰めると思います。長くなりすぎた。

= 夕さん2話
[2016-01-01 23:43]

夕暮れ時の商店街は小さな希望とあふれる大きな落胆だ。口々にお喋りを繰り広げる人たちが、水が流れるように、私を通り過ぎていく。
賑やかな音楽が流れ、いらっしゃいませの掛け声がいくつも重なる、でも。
歩道の端に立ち止まったまま、私は思い出す。
そして、ああそうだったよなと、一人納得して、家路へと歩きだすのだ。

「ただいま、夕さん」
「お帰り、夕子」
カーテンを開けた窓から、薄墨色の空が見える。窓を背に夕さんが座っていた。
夕さんの体を通して空を見る、ふと、私まで空の中程にいるような気がして、信仰心なんて欠片もない私だけど、夕さんは天使かもしれない、そんな気がするのだ。ちょっと、言葉の乱暴な天使だけど。
はっと気づいて、灯りを灯す。夕さんは蛍光灯のスイッチを入れることが出来ない、指がスイッチをすり抜けてしまう。
「やぁ、明るくなった。ありがと」
そういうと、夕さんは倒したスーツケース、それをいつものように椅子代わりに座る。
「晩ご飯の用意をするよ」
「うん」
夕さんが元気よく返事した。

夕さんは暗いのが苦手だ。まだ、私が子供の頃だった、二人で留守番をしていた夕刻、強い雨が降っていて、遠雷、遠く、雷が鳴っていた。
暗くなるにつれて、雷が近づいて来る、いきなり、どんって、雷が落ちた、そして、停電になったんだ。
私、薄暗がりの中で、夕さんがうずくまって声を押し殺すように泣くのを見た、最初で最後の、夕さんの泣く姿だった。そして、私は知った。夕さんは何を触れてもすり抜けてしまう。実体としての体がない、だから、闇の中、自分自身が闇にとけ込んで消えてしまうのではないか、私やお父さんやお母さんに会えなくなるかもしれない、喋れなくなるかもしれない、忘れられてしまうかもしれない、そう思うと、怖くて、悲しくて泣いてしまうんだってこと。
いまはもう、停電になっても夕さんは泣かないけれど、夕さん素振りも見せないようにしているけれど、私も全然気づかない振りをしているけれど、今も夕さんは闇が怖い。

「いい匂いがしてきた」
横から、夕さんがフライパンをのぞき込んだ。
夕さんは味のしっかりしたのが好みだ、はっきりとした匂いがあるから。
「野菜炒め風チャーハンと溶き卵とトマトのスープ、香辛料ちょっと多めにしたよ」
「ありがと、嬉しいなぁ」
私、ちょっと溜息をつく。
「どうしたんだ、夕子」
「なんていうかなぁ、二十年くらいしたら、夕さんと私、親子だなぁって思った」
「というより、夕子も結婚して、私くらいの子供がいるだろう」
諭すような夕さんの言葉に、一瞬、不安がよぎる。
「夕さんもいてよ、私がおばあさんになっても、一緒にいてよ」
「あぁ、頑張るよ」
ちょっと、いたずらげに笑みを浮かべて、夕さん、椅子代わりのスーツケースに戻った。
折り畳み式の小さなちゃぶ台にチャーハンとスープを二つ、一人分を二つに分けたものだ。それに、小皿にちょっとだけ、チャーハンを載せて、ちゃぶ台に載せた人形の前に置く、あの娘だ。
「夕さん、この子、元に戻らないかなぁ」
「元に戻るもなにも、これが本来の姿だ。よほど強い願いがあって、人の姿に化身していたんだろう。古いもの、情の強いものには心が宿る、付喪神と呼ばれるものだ」
夕さんがスープに顔を寄せる、夕さんは食べることができない。ただ、匂いをかぐんだ、それが夕さんの食事で、濃いめの匂いをかぐとお腹がいっぱいになる、だから、ちょっと濃いめの味付けをするんだ。
「私は何も出来ない、料理も作れない。蛍光灯のスイッチすら押せない。夕子の世話になりっぱなしだ。だから、せめてさ、夕子の悩み解決に手を貸してやりたいと思う」
夕さんがいたずらげに、にっと笑った。
「この娘が、何故、人を導き穴に落ちた子供を引き上げさせようとしていたのか。それを考えてみよう」
「それは、落ちた子供が可哀想だから」
ちょっと自信ない。
「なぁ、夕子。外国の紛争地帯で子供が空爆で大怪我してさ、可哀想だと思う、でも、さすがに飛行機乗って助けに行きはしないだろう。でも、夕子が大怪我をしたなら、私はまさしく飛んでいくぞ」
「つまりそれは、この娘の大事な人が穴に落ちてしまった」
「この娘を可愛がっていた女の子が親の虐待が元で穴に落ちてしまった。この娘はその女の子を救い出したい、その強い願いが、あの姿を生み出したんだろう」
「それじゃ、その女の子見つかったから、人形に戻ったっていうことかな。空に浮かんでいった子供たちの中にいたのかな」
夕さんが大げさに溜息をついた。
「あんな穴はいくつもある。大人は、理由をつけては子供を犠牲にするからな」
夕さん、正座をして、あの娘を見つめた。
「大変だったろうと思う。助けてくれる物好きな奴なんかいない。夕子」
「は、はいっ」
「お姉ちゃんのほっぺたは温かいぞなんて、子供の絵本かよなんてことするもんだからさ」
夕さんが、私の顔を見て、にやりと笑いかけた。
「この娘、ほぁんってなってしまって、本来の姿に戻ってしまったわけだ」
「それって、私の責任」
「別に責任だとか、そんなんじゃない。いつかは知らないけれど、いずれ、女の子の姿に戻るさ、願いはまだ叶っていないからな」
「私、腕立て伏せするよ、力つけて、子供たちを引っ張りあげられるようにする」
夕さんが涙を流して笑った。
「私的には思うところもあるけれど、ま、筋トレ頑張ってくれ」

夕さんが匂いを嗅ぎ終えた分も私が食べる、少し、味が薄くなった気がして、ほっとする。
そして洗いものを済ますんだ。会社では新入社員として雑用全般も本来の仕事に加えて押しつけられているから、なんだか、へとへと、心が折れてしまうぞ、社員を大事にしろって思うけど、夕さんと晩ご飯を食べながらお喋りをすると思うと、なんとかやっていける。
いつまで経っても、私にとって夕さんは頼りがいのあるお姉さんだ。こんなこと、口に出すとしっかりしろと叱られそうだから、言わないけれど。
振り返れば、夕さん、じっとあの娘を見つめている。
夕さんは時々不思議だ。私には見えないものを見、聞こえないものを聞いているような気がする。
私がまだ中学生の頃だったと思う。
私、思いついたんだ。夕さんはものに触れることができない、すり抜けてしまう、でも。
夕お姉ちゃん、夕お姉ちゃん。
私、凄いことを思いついたんだ、夕さんに正座してもらって、私も夕さんのすぐ後ろに正座をする、そして、左手をぎゅって伸ばして、夕さんの左腕と重ねたんだ、そして、この腕は夕さんの腕だって思いこむ。
そしたら、すぅっと、左手の感覚が無くなって、夕お姉ちゃん、どんな感じって、私、無邪気に言ったんだ。
夕さん、驚いて左手を顔に寄せて言ったんだ、
「体って。温かいなぁ、ありがとう、夕子」
「うん」
私、得意になって、頷いた、でも、急に夕さん、左手を引き抜くと、私に向きなおって、睨んだんだ。
「ありがとう。でも、二度とするな。これは夕子にとってやってはならないことだ」
今にして思う、私は無邪気に自分の体を夕さんに明け渡そうとしたんだ。それを夕さんが、たしなめたんだ。私は夕さんに叱られてしゅんとしてしまったけど、でも、なんだかとっても嬉しかったんだ。

「おおい、夕子。用事が済んだら、こっち、来てくれ」
夕さんの声に洗い物を終えて、振り返る。
夕さんはあの娘を正面からじっと見つめていた。そして、後ろに回り込んで見つめたり、上からのぞき込んだりしている。
「どうしたの、夕さん」
「夕子。ちょっと、この娘を持ち上げてくれ」
夕さんに言われるまま、両手で持ち上げてみる。
夕さんが下からこの娘を見上げる。
「無いなぁ」
「えっと、何がないの」
「扉。ドアだ」
「え、ドア」
「そうだ。夕子だってそうだろう、他人宅行ってさ、ピンポンって呼び鈴鳴らして、こんにちはって言うだろう。なけりゃ、ドアをとんとんって
叩くだろう」
不思議そうに夕さん、私を見つめる。
「えっと、つまり、家のドアを探しているってこと」
「あの娘にとって、この姿は家のようなもの、呼び出してやろうと思いついてさ、扉を探している」
夕さんが、嬉しそうに笑った。
「夕子はあの娘に早く会いたいんだろう」
夕さんは凄い、そんなの思いつきもしなかった。夕さんはどうして、こんな不思議なことを知っているんだろうと思う。一度だけ、夕さんにどうして、不思議なことを知っているのって尋ねたことがあった。
夕さん、びっくりしたように言った。そんなの常識だろう、夕子、少しは勉強しろよって、いたずらが成功した子供のように笑っていた。

「見つけた。左の小指だ、こいつは大変だ」
夕さん、小さく息を漏らした。そして、スーツケースの上に胡座をかく。私、この娘をテーブルに戻して言った。
「えっと、夕さん」
夕さん、私を見上げた。
「右手の指切りは遊びだ。でも、左手小指の指切りは本物なんだ」
「本物って」
戸惑いながら、私、夕さんの前に座った。
「まだ、子供の頃だ。夕子、私と指切りをしようと左手を出したことがあるだろう」
そう言えばと思う、小学校で同じクラスの女の子が指切りをして、明日の約束をするのを見たんだ。私、それを見て、そうだ、夕さんと指切りをしようと思って、小指を出したことがあった、夕さんにだめだって叱られたんだ、その時。
「指切りげんまん嘘ついたら、針千本飲ます、指切った」
夕さん、左手を後ろに隠して歌った。そして、少し両目を伏せる、言わないけれど、とっても綺麗だ、夕さんは言葉が少し乱暴だけれど、笑ったら、とても可愛いんだけど、目を少し伏せただけで、空気が凛とするんだ。


「嘘を一つついただけで、縫い針千本飲ませるぞって言うんだ、約束っていうより、脅しや呪いだろ。釣り合いがとれやしねぇ」
夕さん、目を伏せて、深く溜息をついた。
「夕さん、泣きたいなら泣いていいんだよ」
「残念ながら、私は泣くのが嫌いだ。泣くことで心を癒すのだ、心の安寧を得ることができるというなら、私は自己との対話で心を癒すことにしているからな。泣く必要がないんだ」
夕さんの石頭は昔からだけれど、多分、夕さんは肉体がないのを、考えるってことで補っているから、真面目だったり、石頭だったりするんだろうなと思う。そうじゃないと、自分自身が曖昧になってしまって、消えてしまうんじゃないか、多分、そう思っているんだと思う。

「この娘は人の子供と指切りの約束をした、約束をしたというより、呪いをかけられたというほうが正解だ。だから、この娘を解放するということは、その呪いを夕子が引き受けることになるかもしれないということだ。縫い針千本、呑むことになるかもしれない。その覚悟がなければ、この娘を飾っておくにとどめた方がいいってことだ」
「夕さん。多分、私、大丈夫だと思う。そんな気がするんだ」
「なんだよ、もう」
夕さん、頭を抱えた。
「夕子は危機意識が足りない。だいたい、あの地面から生えていた子供の腕だって、普通は触らないぞ。誰だってびびって離れるだろうに、しっかり握ってんだから」
「大丈夫だ、夕さん」
私、励ますように言った。
「何が」
拗ねたように夕さん、私を睨んだ。
「私には夕さんってお姉ちゃんがいるんだから」
私の笑顔に、夕さん、うつ伏せになって頭を抱えてしまった。
「姉として、しっかり育てたつもりだったんだけどなぁ。なんで、こんな能天気に育ったんだ」
夕さん、大きく溜息をつくと体を起こして、スーツケースの上に座り直した。
「まぁ、いろいろ言いたいこともあるけど。一つだけ言う。正座」
「はいっ」
夕さんの言葉に膝を揃えて正座した。
「夕子がどんな危険に陥っても、私はその腕を掴んで引き戻してやることはできない。だから、私が逃げろと叫んだら、一目散に逃げろ。私が止まれって言ったら、何があっても止まれ。いいな」
「はい、そうします」
元気に答えた。
夕さん、もう一度、溜息をつくと、ぼぉっと私を見つめた。
「出来の悪い子供ほど可愛いというけれど、出来の悪い妹もまぁ、可愛い、かもしれないな。夕子、足、ゆるめていいよ」
そっと、夕さん、微笑んだ。
かっこいいなぁと単純に思う。子供の頃、夕さんみたいになりたいと思った。それは、半透明になりたいっていうんじゃなくて、なんていうかな、颯爽としていて、とにかく、かっこよかったんだ、いつか夕さんみたいにかっこいい女になるぞって思ったけれど、見た目年齢、夕さんを越えてしまったけど、まぁ、現実は厳しい。
「夕子、この娘を膝に載せな、同じ方向を見るように膝に載せるんだ」
「えっと、はい」
「次は左手で、その娘の手首を掴む」
「こんな感じかな」
「それでいい。次は右手の小指の先でその娘の左小指の根元、とんとんとつつけ。そして、こんにちはと呼び続けろ」
すぃっと夕さんの眼が線を引くように細くなる。
「とんとん、こんにちは」
右手の小指でつつく。なんだか、不思議な感じだ、何か、秘密の儀式をしているみたいだ。
「とんとん、こんにちは」
夕さんが呟いた。
「あの娘が現れるまで続けるんだ。でも、絶対に左の小指でつつくなよ。指きりの約束が成立してしまったら、夕子が縫い針千本、呑むことになるかもしれないぞ」
夕さんの言葉に緊張する。
「とんとん、こんにちは。とんとん、こんにちは」
なんだか、少し、この娘、重くなってきたような気がする、それに少し暖かくなってきたみたいだ。
「とんとん、こんにちは。とんとん、こんにちは」
「夕さん、大変だ。膝、重くなって来たよ」
「よし、夕子、眼を瞑れ」
私、ぎゅっと眼を瞑った。
子供だ、小さな子供が私の膝に座っている。左手の手首もそうだ、これは子供の手首だ。
「夕さん、眼を開けていい」
「いいよ」
眼を開けると、私の目の前にあの女の子がいた、後ろ頭しか見えないけれど、確かにあの子だ。
夕さんがにぃぃと、唇を歪め、笑みを浮かべた。
「おはよう、よく眠れたかい」
眠りから醒めて、焦点が合ったのだろう。いきなり飛び上がると、部屋の隅に背中を向けうずくまってしまった。
「もう、夕さん、脅したらだめだよ」
嬉しくてたまらないと夕さんが笑った。夕さんはちょっと意地悪なところがあるのだ。
私、なんだかいとおしくて、女の子の頭をなでる。
「君、大丈夫だよ。あっちのお姉ちゃんもほんとはとってもやさしいんだよ」
柔らかな黒い髪だ、暖かい、まるで、生まれたてみたいだ。
女の子がゆっくりと向き直って、ごめんなさいと頭を下げた。「謝ることないよ、折角、寝ていた君を起こしたのはお姉ちゃんだからさ」
夕さん、ついっと女の子を見下ろした。
「お前、名前は。名前を教えな」
女の子は首を横に振ると、まだ、ありませんと小さく答えた。
「お前と指切りをした友達は、名前を付けてくれなかったということか」
いぶかしる夕さんの眼を避けるように女の子が深く頭を下げる。
「まぁいいや。なら、夕子、この女の子に名前を付けろ」
「え、いいの」
「いいもわるいも、名前がないと不便だろう。夕子が付けないのなら、私が付けるぞ、例えば、五郎左衛門とか、権兵衛為助とか」
「だ、だめだよ、可愛くない」
本当にこのままだと、変なのを夕さん、付けてしまう。
「よし。私に子供が出来たら絶対付けるぞって名前を君に付けてあげよう。幸せと書いて、幸(ゆき)、君は幸だ」
女の子が驚いたように私を見つめる、そして、そっと笑みを浮かべた。
「なんだよ、夕子。平凡な名前だなぁ。人形繋がりで、佐七とかいいんじゃないか。強そうだぞ」
夕さんの提案は気持ち良く却下し、なんだか、三人家族の生活が今から始まったのだ。

 

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朗読用小説「夕さん」 20151112版

「夕さん」を推敲いたしました。文字数で言いますと、5298文字から4310文字に減らしました。400字詰め原稿用紙2枚ちょっとです、
少し、読みやすくなったかと思います。
「夕さん」

夕さん 作 物部俊之

駅前で花を一輪いただいた。輝く夕暮れの空、小さな女の子がこれあげると花を一輪、私に差し出したのだ。
これでも、二人暮らし、会社に勤めて一年、ちょっとばて気味の社会人だ。
子供から何かいただくというのは、大人として、少しは遠慮するべきなんだけれど。
夕暮れに染まったその女の子が、なんだかいとおしく、つい、手を伸ばし、花を一輪受け取ってしまったのだ。
ありがとう、女の子は笑みを浮かべると、人込みへと消えて行った。
人込み、そして、私は初めて気が付いたのだ、賑やかな雑踏に辺りを見回す、店から流れるはやりの歌、私は夕飯の買い物で賑わうたくさんの人達の中にいたのだ。

「夕子も物好きというかなぁ」
二人暮らしのアパートに戻ると、半透明の夕さんが、溜息ついて、一輪の花を眺めた。半透明の夕さん、十代後半くらいの綺麗な女の子だ。半透明の夕さんはその名の通り、向こうが透けて見える、手を伸ばせば、手が擦り抜けてしまうのだ。幽霊みたいなものかもしれないけれど、本人にはそういう自覚はないらしい。私は私だ、が、夕さんの自分自身に対するしっかりとした評価だ。
うちの親が言うには、私が生まれる時、母さんの横でしっかりしっかりと叫んでいたのが、初めて夕さんを見た時で、暢気な親だ、鍵を掛け忘れたときなんか、ちゃんと、夕さん、教えてくれるのよ、助かるわぁ、なんてほざいているのだ。
私が子供の頃は、夕さんはお姉さんで、いまは、なんだか生意気な妹で、それは夕さんがずっとかわらないのに、私が大人になっていったからだ、多分、夕さんの中では、まだ、私は妹で、子供なのだろう。父さんと喧嘩して家を出た時も、私について来てくれたのは、頼りない私が心配だったからだと思う。

「それ、なんて花だろう、百合かな」
「百合とは花の形は似ているけれど、葉の形が違う、この花、夕菅って云うんだ。夜に咲く月の色した花。朝にはしぼんでしまう」
夕さん、立ち上がって、窓から外を眺めた。
「見てごらん。上弦の月の色」
夕さんは実体がないので、体を突き出せば、上半身がカーテンも窓も擦り抜けてしまうけど、私はそうはいかない。カーテンを開け、外を眺める。
中空には檸檬の色をした月が浮かんでいた。闇の中、冴え冴えと輝いている。
「さて、月の角っこに、綱掛けて、何か引き上げようようというなら、これも縁というもの、少しばかり手伝ってやるさ」
夕さんがにっと笑みを浮かべた。
「どういうこと。夕さん」
「夕子。しっかり晩御飯を食え。食ったら、出掛けよう」

「足が痛いよぉ、帰りたいよぉ」
私の泣き言に、きりきり歩けと夕さんが楽しそうに笑う。全くの闇の中、あの夕菅の花が仄かに月の色を足元に照らしていた。肌が微かに湿気を感じている、雨上がりなのだろうか。見上げても、真っ黒な闇。
「夕さん、一緒に居てよ、何処にも行っちゃやだよ」
「大丈夫。隣りずっと歩いてやるよ」
「ありがとう、夕さん」
「どういたしまして」
にかっと、夕さん、自信に満ちた笑顔を浮かべた。
私達は夕菅に導かれるまま歩いているのだ。夕菅を持つ私の右手が磁石に吸い寄せられるように、歩く方角を決めて行く、私と夕さんはその後を付いて歩く。足のだるさを思えば、もう何時間も歩いているに違いない。
「ねえ、夕さん。いつか聞こうと思っていたこと、いま聞いて良いかな、多分、今じゃないと聞けないと思う」
「いいよ。歩いているだけじゃ退屈だ」
「あのね。夕さんは齢もとらないし、透けているし、手を伸ばせば擦り抜けてしまう。それでいて、商店街のおばちゃん達とカラオケで歌っていたり、近くの高校生に告白されて、ガキに興味はねぇって断ったりもしていた。夕さんは何なの」
「確かにそれはご飯食いながらの質問じゃないな」
夕さん、怒らずに真面目な顔をして答えてくれた。
「夕子を産もうとしている母さんの隣りにいた、酷い難産だった。実は私にはそれ以前の記憶がないんだ。だから、夕子の問いに答えるのは難しい。ただね」
夕さんが私に向かって恥ずかしそうに笑った。
「私はちっちゃな女の子のお姉さんになろうと思ったんだ。夕子のお姉さんにさ」
「私のお姉さん」
夕さんが笑って頷いた。
「だから、夕子は大人になってしまったけど、私にとっては今も妹だ。夕子がおばあちゃんになっても、この夕さんの妹だ」
夕さん、ふいっと笑顔を消して、視線を前に向けた。夕さんは意外と、照れ屋なのだ。
「お姉ちゃん、ありがとう」
思い切って言ってみた。夕さん、聞こえない振りをしているけれど、ほんの少し笑った。
そうだ、いつからだったろう、夕さんって呼び始めたのは。夕さんの少し寂しそうな笑顔を思い出した。

「夕子。見えるか」
夕さんが囁いた。
月だ、空の高みに、上弦の月が浮かんでいた。月明かりを頼りに辺りを見渡してみる。
月のかけら、夕菅の指し示す方向に光が灯っていた。

駆け寄ると、あの女の子が夕菅の花を片手に俯いていた。女の子は信じられないようにぼぉっと私の顔を見つめた。
「来たよ。さっきは花をありがとう」
急に女の子がごめんなさいと呟いた。
「ま、そうとしか言いようがないもんな」
夕さんが女の子の横にしゃがんで、地面を睨んでいた。
「随分、深いし、冷たそうだ。夕子、来てみろ」
直径一メートルくらいの穴だ、暗くて深い穴が地面に穿たれていた。
「目を凝らしてじっと見てみろ」
夕さんが穴の真ん中を睨みつけたまま、呟いた。
腕だ、子供の細い腕が、一本、手を伸ばせば届くところに、生えていた。
手が花のようにだらりと力無く、まるで風があるかのようにゆらゆら揺れている。
夕さん、ぎろっと女の子を睨みつけた、女の子が夕さんの視線を恐れるように俯く。
私、ゆらゆら揺れるその手を両手でしっかり握った。なんて冷たいんだ、氷、いや、そうじゃない、もっと深い、心に滲み込んでくる冷たさだ。
「ええっ、夕子、なんで掴むんだよ」
振り返った夕さんが驚いて声をあげた。
「え、あの。引っ張りあげたほうがいいかなぁって、えっと、うん」
「その穴に落ちてしまったら、闇の中、無限に生きることになるぞ」
「その穴に子供が落ちているのなら、引き上げなきゃ」
私、おもいっきり手に力を入れる、子供の手、引っ張りあげてやる、重い、なんて重いんだ、動かない。
「夕子、子供の顔を思い浮かべろ。笑顔を思い浮かべるんだ」
夕さんの言うように、幸せそうに笑顔を浮かべる子供の顔を思い浮かべた。あぁ、これ、私だ、私が子供の頃の顔だ、夕さんと一緒に公園で遊んだときの笑顔だ。
ふっと腕が軽くなった、小学生くらいの少年がふわっと空中に浮かんだ。手を離すとゆっくりと月の引力に導かれ、浮かび上がっていく。
「夕子、しっかり。まだ、次がいるぞ」
夕さんの声に穴を見ると、多分、あれは女の子の手だ、ゆらゆら、揺れていた。ぎゅっと握りしめる、なんて冷たい手だ。
おもいっきり、引っ張りあげた。小さな女の子だ。次々と、もう、わけがわからないくらい、たくさんの子供達を引っ張りあげる、小さな赤ん坊まで引っぱり上げる、皆、とても冷たい手だ、私の手も冷たくかじかんでいく、でも、こうやって手を差し出すなら、なんとか、この闇から子供達を引き出してやりたい、母性だかなんだか、知らないけど、子供達が辛い思いをするのは嫌だ。
「夕子、この子が最後だ」
夕さんの声に息を飲んだ。手の形すらしていない、生まれる前の手だ、両手を闇に差し込む。手が痛い、手がちぎれてしまいそうだ。掬い上げて、月へ掲げた、手を離す、ふわり、赤ん坊が浮かんだ。
「もう、限界だ」
背中から万歳の形で倒れてしまった。見上げると、いくつもの子供達が上限の月に向かって昇っていく。
「お疲れさま」
夕さんが少し笑った。
「夕さん。あの子達、どうなるんだろう」
「わからない。でも、闇の中、膝を抱えて震えているよりはずっとましだろう」
夕さん、ほっと息を漏らすと、私の横に座った。
「ね、あの子達っていったい何だったんだろう」
「親からの虐待で殺された子供達だ、この穴はそんな子供達を飲み込んでいたんだろう、こんな穴は何処にでもあるのさ」

体を起こすと、穴は消えていた。女の子が正座して俯いている。足引きずりながら、女の子の前へ這う。
ごめんなさい、俯いたまま、女の子が呟いた。
「謝ることはないよ。お姉ちゃん、ちょっと頑張っただけさ」
手が、と女の子が言いよどんだ。
どうしてだろう、私、女の子の手を取って、私の頬にくっつける。
「ほら、手は冷たくなったけど、ほっぺたは暖かいぞ」
女の子が泣き出しそうな、でも、しっかり笑顔を浮かべてくれた、そして、かき消すようにその姿が消える。
「え、あ、ど、何処に行ったの」
「下、見てみろ」
夕さんが指さす先、小さな女の子の人形が転がっていた。
「服装や髪型、同じだろう」
私、人形を拾い上げて、どうしてだろう、しっかり抱きしめた。
なんでだ、泣きそうになる。
「少し明るくなってきたな」
辺りが見える、夕菅の花はしぼんで、朝日が昇る前の、朝まだき、うっすらと青色に辺りが染まる時間だ。
「ここって」
「近所の河原だ。歩いて十五分ってとこだな」
「ね、夕さん、この子、連れて帰っていいかなぁ」
「そのままにすれば、ゴミ扱いだ。いいんじゃないかな、連れて帰って」
夕さん、そっと笑みを浮かべてくれた。
ゆっくりと立ち上がる、川風が上流からゆっくりと流れてくる。
「夕子。同じようにさ、また、子供の手を引き上げなければならなくなったらどうする」
夕さんの言葉に、自分の両手を見つめた。少し、両手に暖かさが戻ってきたように思う。なんだったんだろう。心に直接襲ってくるあの冷たさ。あれは、あの子達の絶望や恨みや怒り。ううん、そうじゃない。あれは、願いだ。生きていたい、笑顔を浮かべたい、そんな強い願いがぶつかってきたんだと思う。
「あの子、喜んでたな」
「うん」
夕さんの言葉にじっと腕の中の人形を見つめた。薄汚れてしまっているけれど、とても可愛い人形だ。この子も辛い思いをしたのかな、こんな小さな人形なのに。
「泣いているのか」
「ううん、泣いていないし、泣かない」
ぎゅっと歯を食いしばった。
「こういうとき、絶対に泣いたらだめなんだ。涙と一緒に思いが流れて行ってしまうから」
夕さんも立ち上がると、にかっと子供のように笑った。
「夕子、しっかりしたな」
「うん」
どうしてだろう、素直に頷いた。
私は、次も手を掴むだろう。知らぬ振りをせずに。
ふと、気がついた。夕さんは私を引き上げてくれたのかもしれない。
「お姉ちゃん」
「いいよ、夕さんで。なんか照れる」
「ううん。ありがとう、お姉ちゃん」
夕さん、照れ笑いを浮かべて、顔をそむけた。
「どういたしまして」

終わり

 

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夕さん 三話 最終話

「ただいま」

夕子は

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「夕さん」

夕さん 作 物部俊之

駅前で花を一輪いただいた。夕刻、茜色の空の下、空気までが赤く染まって見える景色の中で、小学生くらいだろうか、女の子がこれあげると花を一輪、私に差し出したのだった。
これでも、一人暮らし、いや二人暮らしの女であり、会社に勤めて一年、ちょっとばて気味の社会人でもある。
子供から何かいただくというのは、大人として、少しは遠慮すべきなのだけれど。
夕空に赤く染まったその女の子が、なにやら妙にいとおしく、つい、手を伸ばし、花を一輪受け取ってしまったのだ。
ありがとう、女の子はにっと笑みを浮かべると、きびすを返し、人込みへと消えて行った。
人込み、そして、私は初めて気が付いたのだ、賑やかな雑踏に辺りを見回す、店からはいらっしゃいいらっしゃいませの声、派手な浮かれた音楽、私は夕飯の買い物で賑わうたくさんの人達の中にいたのだ。

「夕子も物好きというかなぁ」
半透明の夕さんが、溜息ついて、ガラスコップに活けた一輪の花を眺めた。半透明の夕さん、十代後半くらいの綺麗な女の子である。半透明の夕さんはその名の通り、向こうが透けて見える、手を伸ばせば、手が擦り抜けてしまうのだ。幽霊とか座敷童子みたいなものかもしれないけれど、本人にはそういう自覚はないらしい。私は私だ、が、夕さんの自分自身に対するしっかりとした評価である。
うちの親が言うには、お産で私が生まれる時、母さんの横でしっかりしっかりと叫んでいたのが、うちの親達が夕さんを初めて見た時で、暢気な親だ、ガスの火を消し忘れてたときや、鍵を掛け忘れたときなんか、ちゃんと、夕さん、教えてくれるのよ、助かるわぁ、なんてほざいているのだ。
私が子供の頃は、夕さんはお姉さんで、いまは、なんだか生意気な妹で、それは夕さんがずっとかわらないのに、私が大人になっていったからだけれど、多分、夕さんの中では、まだ、私は妹で、子供なのだろう。父さんと喧嘩して家を出た時も、私について来てくれたのは、頼りない私が心配だったのだろうと思う。

「それ、なんて花だろう、百合かな」
「百合とは花の形は似ているけれど、葉の形が違う、この花、夕菅って云うんだ。夜に咲く月の色した花。朝にはしぼんでしまう」
夕さん、立ち上がって、窓から外を眺めた。
「見てごらん。上弦の月の色」
夕さんは実体がないので、体を突き出せば、上半身がカーテンも窓も擦り抜けてしまうけど、私はそうはいかない。カーテンを開け、外を眺める。
中空には檸檬の色をした、上弦の月が浮かんでいた。真っ黒な画用紙をくりぬいた月、闇の中、冴え冴えと輝いている。
「月の輝きに回りの星が隠れてしまった」
夕さんが月を睨む。
「さて、月の角っこに、綱掛けて、何か引き上げようようというなら、これも縁というもの、少しばかり手伝ってやってもいいさ」
夕さんがにっと笑みを浮かべた。
「どういうこと。夕さん」
「夕子。しっかり晩御飯を食え。食ったら、出掛けよう」

「足が痛いよぉ、帰りたいよぉ」
私の泣き言に、きりきり歩けと夕さんが楽しそうに笑う。全くの闇の中、あの夕菅の花が仄かに月の色を足元に照らしていた。肌の感覚が微かに湿気を感じている、雨上がりなのだろうか。見上げて見ても、真っ黒な闇。
「夕さん、一緒に居てよ、何処にも行っちゃやだよ」
「大丈夫。隣りずっと歩いてやるよ」
「ありがとう、夕さん」
「どういたしまして」
にかっと、夕さん、自信に満ちた笑顔で笑った。
私達は夕菅に導かれるまま歩いているのだ。夕菅を持つ私の右手が磁石に吸い寄せられるみたいに、歩く方角を決めて行く、私と夕さんはその後を付いて歩く。もう何時間も歩いているようにも思えるし、十分か十五分くらいにも思えるし、でもそうだ、足のだるさを思えば随分と歩いているに違いないと思う。
「ねえ、夕さん。いつか聞こうと思っていたこと、いま聞いて良いかな、多分、今じゃないと聞けないと思う」
「いいよ。歩いているだけじゃ退屈だ」
「あのね。夕さんは齢もとらないし、透けているし、手を伸ばせば擦り抜けてしまうし、私の幻覚、幻なのかなって思うこともある、でも、夕さんはお隣りさんとも仲がいいし、商店街のおばちゃん達とカラオケで歌っていたりする、近くの高校生に告白されて、ガキに興味はねぇって断ったりもしていた。夕さんは何なの」
「確かにそれはご飯食いながら尋ねることのできる質問じゃないな」
夕さん、怒らずに真面目な顔をして答えてくれた。
「私は気づいた時、難産で苦しんでいる女性の隣りにいた、うんうん唸っていた。夕子を産もうとしている母さんの隣りだった。実は私にはそれ以前の記憶がない、まったくないんだ。だから、夕子の問いに答えることは難しい。ただね」
夕さんが私に向かって笑みを浮かべた。
「私は自分自身が何者かはわからないけど、これから、こうなりたいと思ったし、こうなろうとした。夕子のお姉さんにさ」
「私のお姉さん」
夕さんが照れたように笑って頷いた。
「だから、夕子は大人になってしまったけど、私にとっては今も妹だ。夕子がおばあちゃんになっても、この夕さんの妹だ」
夕さん、ふいっと笑顔を消して、視線を前に向けた。長い付き合いだ、わかっている、夕さんは案外、照れ屋なのだ。
「お姉ちゃん、ありがとう」
思い切って言ってみた。夕さん、聞こえない振りをしているけれど、ほんの少し笑った。
そうだ、小さい頃はお姉ちゃんと呼んでいたんだ、いつからだったろう、父さんや母さんと同じように夕さんって呼び始めたのは。
夕さんの少し寂しそうな笑顔を思い出す。

「夕子。見えるか」
夕さんが囁いた。
月だ、空の高みに、夕菅と同じ色の上弦の月が浮かんでいた。微かな月明かりに辺りを見渡してみる。
月のかけら、月が欠けて落ちたように、夕菅の指し示す方向に光が灯る。

「あれは夕菅の花だ」
あの女の子が夕菅の花を片手に俯いていた。慌てて駆け寄る、女の子は信じられないようにぼぉっと私の顔を見つめた。
「来たよ。さっきは花をありがとう」
急に女の子がごめんなさいと呟いた。
「え、どうして」
私の声に夕さんが呆れたように言う。
「ま、そうとしか言いようがないもんな」
夕さんが女の子の横にしゃがんで、地面を睨んでいた。
「随分、深いし、冷たそうだ。夕子、来てみろ」
夕さんの隣り、しゃがんでみる。直径一メートルくらいの穴だ、まっくろで月の光も届かない。井戸のような、深い穴が地面に穿たれていた。
何か動いているような気がする。
「目を凝らしてじっと見てみろ」
夕さんが穴の真ん中を睨みつけたまま、呟いた。
腕だ、一本の子供の細い腕が円の中程、手を伸ばせば届くところに、下から生えていた。
手が花の花弁のようにだらりと力無く、まるで風があるかのようにゆらゆら揺れている。
夕さん、ぎろっと女の子を睨みつけた、女の子が夕さんの視線を恐れるように俯く。
私、ゆらゆら揺れるその手を両手でしっかりと握った。なんて冷たいんだ、氷、いや、そうじゃない、もっと深い、心に滲み込んでくる冷たさだ。
「ええっ、夕子、なんで掴むんだよ」
振り返った夕さんが驚いて声をあげた。
「え、あの。引っ張りあげたほうがいいかなぁって、えっと、うん」
「その穴に落ちてしまったら、闇の中、無限に生きていなきゃらなくなる」
「その穴に子供が落ちているのなら、引き上げなきゃ」
私、おもいっきり手に力を入れる、子供の手、引っ張りあげてやる、重い、なんて重いんだ、動かない。
夕さんが叫んだ。
「夕子、頭の中で引っ張りあげた時の子供の顔を思い浮かべろ。笑顔を思い浮かべるんだ」
夕さんの言うように、幸せそうに笑顔を浮かべる子供の顔を思い浮かべる。あぁ、これ、私だ、私が子供の頃の顔だ、夕さんと一緒に公園で遊んだときの笑顔だ。
ふっと腕が軽くなった、小学生くらいの少年の体がふわっと空中に浮かんだ。手を離すとゆっくりと月に向かって浮かび上がっていく。
「夕子、しっかり。まだ、次がいるぞ」
夕さんの声に穴を見ると、多分、あれは女の子の手だ、ゆらゆら、揺れていた。ぎゅっと握りしめる、なんて冷たい手だ。持っているだけで体の中まで冷たくなっていく。
おもいっきり、引っ張りあげた。幼稚園くらいの女の子だ。次々と、もう、わけがわからないくらい、たくさんの子供達を引っ張りあげる、女の子、男の子、多分、小学校高学年くらいから、下は、臍の緒をつけた赤ん坊まで、皆、とても冷たい手だ、どんどん、私の手も冷たくかじかんでいく、でも、この穴が闇そのもので、こうやって手を差し出すなら、なんとか、この闇から子供達を引き出してやりたい、母性だかなんだか、わからないけど、子供達が辛い思いをするのは嫌だ。
「夕子、この子が最後だ」
夕さんの声に手を見つめて、息を飲む。これは、生まれる前の子供の手だ、まだ、お母さんのお腹の中にいたはずの手だ。手を握って、もう片方の手を闇の中に差し込む。手が痛い、冷たいを遙かに越えて、手がちぎれてしまいそうだ。なんとか、両手で赤ん坊を引き上げる、手を離すと、ふわりと赤ん坊が浮かんだ。
「もう、限界だ」
背中から地面に倒れ込む。万歳の形で倒れてしまった。見上げると、いくつもの子供達が上限の月に向かって昇っていく。
「お疲れさま」
夕さんが少し笑った。
「夕さん。あの子達、どうなるんだろう」
「わからない。でも、闇の中、膝を抱えて震え続けているよりはずっとましだろう」
夕さん、ほっと息を漏らすと、私の横に座った。
「ね、あの子達っていったい何だったんだろう」
「親からの虐待で殺された子供達だ、この穴はそんな子供達を飲み込んでいたんだろう、こんな穴はいくつもあるのさ」

しばらくして、体を起こすと、さっきの穴は消えていた。女の子だ、女の子が正座して俯いている。足引きずりながら、女の子の前へ這う。
ごめんなさい、俯いたまま、女の子が呟いた。
「謝ることはないよ。お姉ちゃん、ちょっとばてただけさ」
手が、と女の子が言いよどんだ。
どうしてだろう、私、女の子の手を取って、私の頬にくっつける。
「ほら、手は冷たくなったけど、ほっぺたは暖かいぞ」
驚いたように女の子が顔を上げた、でも、泣き出しそうな笑顔を浮かべてくれた、そして、かき消すようにその姿が消える。
「え、あ、ど、何処に行ったの」
「下、見てみろ」
夕さんが指さす先、小さな女の子の人形が転がっていた。
「服装や髪型、同じだろう」
私、人形を拾い上げて、どうしてだろう、しっかりと抱きしめた。
なんでだ、泣きそうになる。
「少し明るくなってきた」
辺りが見える、夕菅の花はしぼんで、朝日が昇る前の、朝まだき、うっすらと青色に辺りが染まる時間だ。
「ここって」
「近所の河原だ。歩いて十五分ってとこだな」
「うん。見覚えある。あそこの橋、毎日、歩いているよ」
「徹夜だな」
「うん、お肌に悪いなぁ」
「ついでに言うと、夕子、今日は仕事、休みじゃない。ま、頑張ってくれ」
あぁあ、なんだか、溜息をついてしまった。
「帰って、ちょっとだけご飯を食べてから、仕事に行くよ。ね、夕さん、この子、連れて帰っていいかなぁ」
「そのままにすれば、水に流され、ゴミ扱いだ。いいんじゃないかな、連れて帰って」
夕さん、そっと笑みを浮かべた。
ゆっくりと立ち上がる、朝の空気が気持ちいい。川風が上流からゆっくりと流れてくる。
「夕子。同じようにさ、また、子供の手を引き上げなければならなくなったらどうする」
夕さんの言葉に、自分の両手を見つめた。少し、両手に暖かさが戻ってきたように思う。あの冷たさはなんだったんだろう。氷を掴むなんてものじゃない、心に直接襲ってくるような。あれは、あの子達の絶望や恨みや怒りなのか。ううん、そうじゃない。あれは、願いだ。生きていたい、笑顔を浮かべたい、そんな切な、そして単純すぎるほどの強い願いなんだと思う。
「あの子、ごめんなさい、って言っただろう」
「うん」
「今までにもたくさんの大人に救って欲しいと夕菅を渡していただろうと思う。全部、だめだったんだろう、だから、あの子は夕子が来たことに驚きと、胸が一杯になって、ごめんなさいの一言が精一杯だったんだと思うよ」
夕さんの言葉にじっと腕の中の人形を見つめた。薄汚れてしまっているけれど、とても可愛い人形だ。この子も辛い思いをしたのかな、こんな小さな人形なのに。
「泣いているのか」
「ううん、泣いていないし、泣かない」
ぎゅっと歯を食いしばった。
「こういうとき、絶対に泣いたらだめなんだと思う。涙と一緒に思いが流れて行ってしまうから」
夕さんも立ち上がると、にかっと子供のように笑った。
「夕子、しっかりしたな」
「うん」
どうしてだろう、素直に頷いた。
多分、私は、次も手を掴むだろう。逃げずに、知らぬ振りせずに、手を掴んで、引き上げる。
ふと、気がついた。夕さんは私を引き上げてくれたのかもしれない。
なんだか、不思議にそう思えて仕方がない。
「お姉ちゃん」
「いいよ、夕さんで。なんか照れる」
「ううん、いまはお姉ちゃんって呼ぶ。ありがとう、お姉ちゃん」
夕さん、照れ笑いを浮かべて、顔をそむけた。
「どういたしまして」

終わり

「夕さん」の権利とか、そういうことにつきまして。
「夕さん」の権利者と致しまして、ご自由にお読みいただいて結構です、
この「ご自由」を展開いたしますと、お一人でお読みになるのも、たくさんの人たちの前でお読みになるのも御自由です。また、あなた様とたくさんの人たちの間に金銭が関わっていようと、いまいとご自由にお読みいただけます、
録音をCDやダウンロード販売されて、利益を得られるのもご自由です。私になんらかの利益を供与する必要はございません。
また、「夕さん」を朗読なさったことを、私に連絡する必要は特にございません。
改変につきましては、この方が読みやすいや、この方が納得しやすいと思われる場合は、内容を変えていただいても結構です。ただ、そのときは、改変者に敬意を込める意味で、ちらし等を作る場合、原案者 物部俊之と表記してください。

今後、「夕さん」を少しずつ手直ししていくかもしれません、最新情報は http://monobe.info/book/index.cgi にてご案内を致します。

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目次

小説

朗読を前提とした小説です
夕さん1話
夕さん1話 2015.11.12版
夕さん2話

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オーディオドラマのシナリオです
霞は晴れて
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