ないふ

ないふ


男 膝がふるえている、座席から立てない・・・
テーマ音楽
単調な列車の音。車内のざわめき。
男 座席は詰まっていて、つり革持つ人も多い、それはいつものこと、だけど、違うのは俺の真向かいの座席だ。吊革の男の向こう、列車が揺れるたびに、向かいに坐る女の姿が見える。
女の口元、異様に赤い唇だけがにっと笑みを浮かべている。そして、問題なのは・・・、透けて後ろの窓が見えること、いや、そうじゃない、首、女の喉に大振りのナイフが突き立っているってことなんだ。
男 誰も気づいていない、あの女が見えないんだ。そうだ、次で降りてしまおう、もうすぐ駅だ、とにかくここから逃げ出だすんだ
列車の連続音がゆっくりとなり、停まる。ドアの開音。
ざわめき。
男 は、早く立つんだ。たくさんの人が降りていく、俺も
降りていく人たち、スリットのように女の姿が浮かぶ。
女と眼があった・・・、女の唇の両端が異様につり上がる、俺を見て笑ったんだ。女の顔が俺に迫ってくる、笑う女の顔が俺の視界一杯になる、押しつぶされてしまう
動けない逃げ出せない。
消えた・・・
どうしたんだ、いない、空いた席が俺の前にあるだけだ。消えてしまった、・・・そうだ、乗客達と一緒に降りていったんだ

女、耳元、かすれた声でささやくように
女 見えているんだろう、あたしが
男、大きく息を吸い込む。
ドアの閉まる音、列車が動き出す。
女 冷たいねぇ、女の子が喉にナイフ突き立ててるんだぜ
男 あ、あっ、あぁ、あの
女 可哀想だなぁとか、思わないかい
男 だっ、だだた・・・
女 そうだよなぁ。他人のことだもんなぁ、関係ないよねぇ
男 すいませんっ、ごめんなさい
女、小さく笑って。
女 ほぉら、やっぱり見えてたんだ
男 えっ・・・
男 俺の目の前にナイフ突きたてた女が浮かび上がる。喉元、ナイフ、指差して・・・
ナイフを抜けと指差す
命じられるままにナイフを掴む。
冷たい、手のひらが張り付きそうだ。体まで凍えてくる。息が苦しい。喉が詰まる。喉のこれは、血の味だ。俺は血を吐こうとしているのか、いや違う、これは・・・、俺は手のひらを通して女の血と一つになっているんだ
男 早く
女、普通の、囁く声で
女 早く
男 力を込めて、抜く
どうして・・・。掴んでいる筈のナイフが掌から溶けだしていく。氷が溶けるように消えてしまった
列車の音。
男 女が何処からか、スカーフを取り出して首にしっかり巻いた。
女、普通の声で、なにげなく。
女 ありがと。不便でさ、やっと普通に喋ることができるよ
男 話が見えない・・・、いや、見えなくていい。知らない、俺は何も知らない、見ていないんだ
女 おいおい、いい大人が引きこもりかい、世話になったからさ、悩み聞いてやるよ、話してみな
男 え、いや、あの、なにも・・・
急に、女、しとやかにしおらしく。
女 そう・・・、そうだよね。あたし、幽霊だもの、恐くてあたり前だよね。ごめんなさい
男 いや、あの、決して、あの、そういうわけじゃなくて、なんというか
女 女にころっとだまされるタイプだね。よく言えば正直。でも免疫がないとなぁ。これからの人生、生きていけないぜ
男、少し笑い出す。女も小さく笑う。
男 なんだか、肩の力が抜けて、ありがとう
女 ありがとうって
男 変ですね、素直にありがとうって言ってしまった
女 あたしの人徳ってやつだな
男 そうかもしれない
男 にっと笑う赤い唇。あたりまえのように俺の横に座った。どうしてだろう、なんだか、落ち着いてしまって、恐さもすっかり消えてしまった
女 あたしが恐いんじゃない、あんたの中にある虚像が恐怖を撒き散らしていた、それだけのことさ。たいしたことじゃない
男 えっ・・・
女 あんたの顔にそう書いてある
男 女はかすかに視線を落とし、口をつぐんだ。俺はどうしてだろう、何かとても哀しくなって、自分が情けなくなって、ハンカチを取り出し、女の唇を拭う。どうして、そうしたのかはわからない、ただ、そうすれば、少しだけでも、ほんの少しだけでも。
女 面白い人だな、あたしが見えるわけだ
男 少し顔を上げて、にっと笑う。陰のある、でもやわらかな笑みだ
女 ん、その定期券は
男 あ、ハンカチ出したときだ・・・
男 定期券拾って、降りたら改札で渡そうとポケットに入れてた
女 貸してみな
男 女は興味深そうに俺から定期券を取り上げる
女 なるほどねぇ。きまぐれ、それとも縁(えにし)とでも言おうか
男 どういうこと
女 つまりはいいもん、拾ったってことさ、あたしに出会えたんだからさ
男 定期券を人差し指と中指の先で挟み込む。
そして、女は自分の顔の前に定期券を
女 次は誰が受け取るんだろうね
男 ささやくように呟いて、そっと定期券に息を吹きかける。さらさらと・・・
男 さらさらと定期券が光の粉になって飛んでいった。飛んで・・・
女 まぁ、こんなとこだ
男 そう言って女が向かいの座席に笑いかけた。向かいの席、小さな子供が身を乗り出して女を見つめている
女 子供はさ、たまにあたしの姿を見る、あたしは、ちょっと嬉しくなる
男 やわらかく笑みを浮かべて、小さく手を振っている。子供も笑って手を振り返す。
女 ナイフがないってのはいいよねぇ
男 そういえば、ナイフ、どうして喉に
女 秘密さ
男 え
女、かわいく笑って。
女 女の子には誰にも話せない秘密の一つや二つ、あるものなのよ、ごめんなさい
男 楽しんでますね
女 ナイフを消してもらって、なんだかさ、心の底に澱のようにして溜まっていたはずの恨みや妬み、すっかり消えてしまったんだ
男 それじゃ、これから
女 これから・・・、さてねぇ、どうしようもないな、あたしはひとりぼっちだ。牢獄に閉じ込められているんだよ
男 牢獄ってここに・・・
女 普通の人たちはあたしの声も聞こえない、姿も見えない、つまりはあたしの存在はないわけだよ。目の前にいても、大声張り上げていてもさ。牢獄で、一人テレビ見ているようなもんだ。でもさ、あんたやあの子のように、気づいてくれる人たちもいる、ちょっとあたしは優しくなる
男 いつのまにか、向かいに座っていたはずの子供が女の前にたたずんでいた。目に一杯涙をためている。女がそっと手を伸ばし、子供の頭をなでている。
女 子供は苦手なんだけどな、本当は
男 笑みを浮かべるその表情がとてもはかなげで、つらくて仕方がない
列車がゆっくりと止まり、ドアが開く。本来なら、車内アナウンスがあるはずだが、邪魔なので割愛。
女 それじゃあね。ありがとう
男 ゆっくりと立ち上がり、女が列車を出る。俺も
ドアの閉まる音、列車の動き出す音。
女 あんたもここで降りるのか
男 遠ざかる列車の窓、女は笑顔を子供に向け、そっと手を振る
男 俺と一緒にいませんか。これからも
女 そういうのもありかもしれないな。でもね、あたし、あんたと会って少しわかったことがある。
男 わかったこと・・・
女 ほんの少し、自分が暖かくなった、そんな気がしてね
男 暖かく
女 体の冷たさ、希薄さはかわらない。でも、なんだかさ、ちょっと暖かいんだよ
女 ね、あたしに手を伸ばしてみな
男 言われるままに女に手を差し出す。気弱げに笑って女も手を差し出す。
そっと指を絡める。微かに感じる指先、冷たい、でも、なんだか、静かでおだやかだ
女 次に会うときは、次に会うときにはさ
男 ええ、次に会うときは
女 いつか、どこかでね
男 女がやわらかに笑みを浮かべる。俺もなんだか、あの子供のように泣きそうになりながら、いっぱいの笑顔を浮かべる。
ゆっくりと女の姿は薄れ、後ろの風景と重なり、そして消えていった。
いつか・・・
最後の男の台詞、途中から音楽。

終わり

 

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