物部自動車工業のご説明

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2020.03.20 なぜ、卒業式で合唱曲を歌えなかったのか

京都新聞 2020.03.20 京都市立小の卒業式と校歌斉唱のみ 合唱曲歌いたかった の記事を読んで思うこと

合唱曲歌いたかった

私は子供たちが練習していた合唱曲を歌うべきだったと考える。

さて、決定は教育委員会と校長間で決定されたらしい。小学校の主役は誰か、これは当の小学生であるという考えに異論を持つ人は少ないだろうと思う。では、何故、小学生や親や現場の教師を混じえての決定を為さなかったのか。
それは、彼ら教育委員会と校長こそが小学校の主役である、少なくとも彼らはそう実感しているからこそ、君が代と校歌で押し切ったのだ、と考えるのはそれほど不思議ではない。比較的多くの人たちがそう思うだろうし、私もそう思っている、ま、皆が思うことを書いてもあれなので、ちょっと違う視点で考えてみようと思う。
最近、興味を覚えた「アドラー心理学」から考えてみる。
アドラー心理学では、何か問題が起ったとき、それは誰の「課題」であるかを考える。つまり、その問題によって一番困るのは誰か、それを考えたとき、合唱曲が歌えないという卒業生である、だから、卒業生の課題であり、合唱曲が歌えないことについて、どうすればいいかを悩むのは卒業生で、卒業生がその課題に取り組まなければならない。
つまりは、受け入れて、言われるままに儀式を進行していくことを同意するか、あくまでも、合唱曲を歌うことを選ぶかは卒業生の課題である。アドラー心理学ではどちらを選ぶかの勇気を要求する。
もちろん、教師や親はそれを眺めているだけではない、課題の当事者として、解決にはあたれないが、卒業生に寄り添い助言をすることはできる。
アドラー心理学ではこのように展開する。
私が小学生だった数十年前ならば、こういった事態に陥ったとき、大問題になって、最終的には合唱曲を歌うことになっただろうし、また、校長も教育委員会も強く権威を示そうとはしなかっただろう。そもそも、法律上、君が代は国歌でもなかったのだから。
それを思うとき、こういう国を造りだした大人の一人として、悔いいるばかりだ。