信号は守る方が住みよくなります。 あまり仕事と関係ないこと

夕方、車を走らせる.
交差点、赤信号だったので信号待ちをしておりますと、対向車線の車 ダイハツ ムーブカスタム 黒が減速することなく、交差点に入り、私を横切って行った.
見事なほどの、躊躇ない信号無視です.
次の交差点、またもや、赤信号でぼぉっと青になるのを待っておりますと、後ろから、自転車。小学生くらいだろう、私の車を左、すり抜け、私の前の横断歩道を横切って行った.減速もしなければ、左右を確認することもなく駆け抜けた.

私はほぼ完全に信号を守る、それは、叔父が車に轢かれ、敢えて言うなら、殺されたので、事故をしたときの大変さを見た、だから、信号を守ることくらい簡単なことだ、そう思っているので、信号を守る.

最近、集中的に読んでいるアドラー心理学を頼りに考えるなら、これこそ、承認欲求を利用した教育の結果である、と言えるかもしれない.アドラー心理学では子育てにおいて、子供を叱ってはならないと言っている、そして、同時に子供を褒めてもならないと言う.
叱ってはならないというのは、なんとなく、そうだろうなぁと思うのだけれど、褒めてはならないという考え方はとても面白い.
つまりは、叱ったり褒めたりすることにより、自分で考えて行動する、ということをしなくなるということだ。

こらっと叱ってくれる人がいなければ赤信号で走るし、偉いねと言ってくれる大人がそこにいなければ、左右確認をせずに道路を横断する.
誰かに評価してもらう、つまり、こうしなさい、ああしなさいという指示があって、そのように行動することで褒めてもらえる、認めてもらう、承認してもらう、それが行動の基本に巣食ったとき、評価してくれる人がいないと、左右の確認もしないし、赤信号を駆け抜ける.

私は夜遅く歩いたときも、交差点で車がまったく来そうにないとき、がしっと歩行者信号が赤ならば横断歩道の手前で待っている.
実は、私も心儚き人であるので、こんなことも思うのだ.

ばっかじゃないの、車、来ていないし、通ればいいやん、だいたい、かっこいいこと考えているけれど、それって臨機応変でないということやないん、すっごい地震が来ても、あなた、信号 赤だからってじっと停まっているわけ。人間、臨機応変、赤で停まるなんて、それこそ、自分で考えることもせず、信号という機械に頼っているんじゃないの。誰も見ていないんだから、ちゃっと走っていきなよ

ま、こんなことを考えながらも、がしっと赤信号を前に停まるのだ。
誰が見ているわけではなく、いや、私が私を見ている.一番、近いところで見られているわけだ。もちろん、震災でだだだっ道路が崩れて行けば、私も走りますよ.

誰が見ているわけでもない、これこそが承認欲求を基本に行動するということだ。他人からの評価を期待して行動するのではなく、自分自身の中にあるはずの、まっすぐに立った一本の線を前にして、自分のこれからの行動の是非を睨まなきゃならない。
少なくとも信号をしっかりと誰もが守るという社会は、交通事故により死傷する可能性が随分と少なくなる社会だと思う.
私は社会の規則、ルールの多くが力の強い者に都合よくできていると思っている人なので、どんな規則も守らなければならないとは言わない、でも、交通規則ぐらいは、うん、守っていれば、過ごしやすい社会になりやすいと思う.